炎上上等〜だってアスペだもん

書きたいことを書き散らすだけ

世界は良くなっているはず

http://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2019/12/18/112544

を読んで触発された。

 

もーおっさんアスペのわしだけど、ここ10年ぐらいは年収1000万はキープしてるぐらいには稼げる大人に成長した。わしが子供の頃ASDは無かった(日本では認知されていなかった)ので、もちろん特別な療育なんぞ受けてない。それでもちゃんと社会で生きていけてる。

 

何度も書いているようにASDと言えども千差万別なので、他人の参考にはあまりならないだろうけど、それでも今なら発達障害向けの療育とか社会の理解とかあるので、ASDの子を持った親にはどうか悲観しないで欲しい。

 

私の職業は「一部の」ASDに向いている職ではあるけれど、すべてのASDの人がその職に向いているわけではないし、それに向いているからといってその職に就ける保証もないし、X 年後にそもそもその職が存在しないかもしれない。だから「ASDでも簡単に稼げる」なんて言えないし、それ以前にこの職業に就いている人皆が稼げてるわけでもない。

 

逆を返せば、定型ですら1000万稼げるかどうかわからない中、ASDだからこそ1000万稼げてる可能性もある。わしという人間はこの世に一人しかいないので、本当のところは分からない。

 

ASDは定型よりは生きづらいだろう。でも、人生真っ暗が確定しているというわけでもない。世界は良くなっているはず。一人でも多くのASDとその家族が幸せになれることを切に願っている。

感覚過敏の症状

yaplog.jp

なんてのを見つけた。ちょっとそれっぽいかな〜というのは多々あるけど、日常生活的に他の人と明らかに違うのは

  • 触覚:スキンシップ、ピタッとした服などが苦手
  • 臭覚:香りもの全般が苦手、気分が悪くなる

あたりかと。後者に関しては偏頭痛との関連もある(偏頭痛の時に顕著に現れる)ので、一番はやっぱり触覚かな。

 

まー、症状は十人十色ですね。

ASD まだまだ分からないことだらけ

karapaia.livedoor.biz

前回同様、これも知覚の"異常"に起因するのではないかという話。

 

たとえば、シャツのタグを取るとかタートルネックがダメといった、ASD に共通する症状において明らかに社会性と直接関係ないようなものがあるので、知覚の異常が原因という方向で探っていくのは今のトレンドなのかも。

ASD の原因が社会性以前の感覚・運動レベルにある可能性

synodos.jp

タイトルはちょっと煽り気味ですが、ASDには社会性だけでなく、感覚・知覚に特徴があるのは広く知られている事実でしょう。そうした感覚・知覚の違いが社会的能力の違いに結びついてるというのはありえる話。

 

今回の記事で述べられてる

著者らは、ASD の瞳孔調整能力の弱さ [12、 13] が、コントラストの強調と高輝度化の主な原因であると推察しています。

 ですが、私も確かにかなり瞳孔調整能力が低いです。お化け屋敷に入ったときなど、全然何も見えなくて彼女(今は妻)にずっと抱きついてましたw 瞳孔調整能力が低いので、急に暗くなった場合に無彩色化を感じることもあります。ただ

定常時で約 1.2~1.3 倍の大きさの瞳孔を持ち [12]、さらに、対光反射への応答時間の増大と、収縮率の低下 [13] という特性ももつ

というのは、 自分の実感からすると少し違うかも。私は暗順応にかなり問題があるのですが、その反対、瞳孔の収縮で問題を感じたことはありません。とは言え、私が眩しいと思ってるのに、妻はそう思ってないということはたまにあるので、定常時で瞳孔が大きいのかもしれません。

 

ASDのセルフチェック項目で見たことがなかったので気づきませんでしたが、これもASDではよくある症状なのでしょうか。だとすると、また一段と、自分がASDである可能性が高まったと思います。

 

ちなみに

しかし、visual snow と呼ばれる類似の砂嵐状のノイズが、片頭痛患者に発生していることが分かり [21]、このことから、片頭痛を引き起こす特異な脳活動が ASD にも共通している可能性が考えられます。

 

の方ですが、私が偏頭痛持ちでもあるので、そうした症状が ASD からくるのか偏頭痛から来るのかは、自分ではよく分かりません。

音の認識、言葉の認識

www3.nhk.or.jp

例のごとく症状は人それぞれなので、あくまでもひとつの例として。

 

私の場合、イレギュラーな音には敏感(雑踏で誰かがお金を落としたら比較的すぐ気づく)なのに対し、逆に言葉の認識は苦手です。

 

子供の保育園での友達なんかに話しかけられると、そもそも相手が日本語喋ってるのかどうかすらわからない時があります。そして一番困るのがお酒を飲んだ時で、ある程度酔っ払うと、全く言語の認識ができなくなります。

 

普段は困らないけど、定型の方には分からないような苦労は少ししてるかもしれません。

ameblo.jp

via

アナログゲームでコミュニケーション療育〜ねことねずみの大レース - にののシステム科学講座

 

子供の頃、カードゲームやボードゲームをしては、自分が不利になったところで癇癪を起こし、「うぇーん」って泣いて逃走してました。根本的に、運要素がある程度あるゲーム(すなわちほぼすべて)で運が悪いと、すぐにすねて逃亡してましたね。

 

そうしたところは発達障害の影響もあるのかもしれませんが、単に末っ子(家族の中で一番弱いプレーヤー)かつ負けず嫌いというところが大きかったと思います。

 

読書の秋でしょ

今週のお題「読書の夏」

 

「○の秋」というの食欲・スポーツ・読書など色々ありますが、その中でも最も由緒正しいのが「読書の秋」です。

読書の秋!「本のある暮らしを愉しむ」 - 住まいるiタウン

そこを「夏」に変えてしまうのはあまりにも短絡的、というか風情がない。「夏に読みたい本」とか「夏の読書」とかならそんな目くじらたてないんですけどね。

 

そんなつまらない、分かりきってることを指摘するなと思われる方も少なからずいらっしゃるかとは思いますが、そういうのが気になる質(; ASD)なので、ご容赦ください。

 

ところで、上記リンク先では「『灯火』親しむべし」がなぜ読書のことなのか説明されていませんね。ちょっとと調べたところ

http://www.shoin-jhs.ac.jp/educate/tayori/y13_0902.html

2012/07/24(火)安東省菴書「韓愈符読書城南詩横巻」 | 筆記〜書の虎の巻

あたりが参考になるでしょうか。後に「簡編(かんぺん)卷舒(けんじょ)すべし」と続くわけですね。それなら納得。

 

といきたいところですが、

灯火親しむべしの意味 - 国語辞書 - goo辞書

などを見るに、「灯火親しむべし」だけで読書の意味を含みそうです。

 

韓愈が生きていた時代(唐代、八世紀末〜九世紀)を思うに、まだまだ多くの人は夜明けと共に起き、日暮れと共に就寝していたのではないでしょうか。油(ごま油?)がどの程度高価だったかは分かりませんが、そんな時代にわざわざ夜を明るくしてまでしたことといえば、それは読書や勉強しかないでしょう。というわけで「簡編可卷舒」がなくても「燈火稍可親」だけで「読書の秋」になるのでしょう。

蛍雪の功(けいせつのこう) - 語源由来辞典

時代は違えど「蛍の光」でも歌われていることですし。

 

そんなこんなで、お題は半ば無視、「読書の秋」について書いてみました。

どうしても相手を見下してしまう

※例のごとく個人の感想です。

 

アスペルガー症候群では「自他の区別が曖昧」とかいいますが、この感覚を定型発達の方に理解していただけることはなかなか難しいのではないかと思います。

 

私にそれがよく出るのが「自分が知っている=他人も知っている」という感覚、というか思考パターンです。具体的には

  1. 相手の立場を考えず、バリバリ専門用語を使ってしゃべる
  2. 自分が知っていることを相手が知らないと「はぁ、なんでそんなことも知らないの」と思ってしまう(し、顔に出る)

というところです。前者に関しては、経験を積んだので実際にそんなことはしませんが、相手の立場を慮ったり相手の反応を見てしゃべり方を変えたりはできないので、

  1. 相手が同僚でなければ、相手が馬鹿だと思ってしゃべる

ということになります。というわけでまとめて再掲すると

  1. 相手が同僚でなければ、相手が馬鹿だと思ってしゃべる
  2. 自分が知っていることを相手が知らないと「はぁ、なんでそんなことも知らないの」と思ってしまう

そんなわけでして、どうしても相手を見下した態度になってしまいます。

 

あんまりそんなつもりは無いんですけどね。

 

 

大好きってどの程度から?

今週のお題「ゲーム大好き」

 

今週のお題は「ゲームのここが好き」とか「ゲーム」ではなく、「ゲーム『大』好き」です。困りますね、こういう基準のない比較は。

 

世代的に、小学生はみんな(半数以上)なんらかのゲーム機を持っていたので、ある程度は誰もが「ゲーム好き」だったわけです。私もゲーム機はいくつか持ってたし、もちろん持ってるだけでなくプレーするのも好きですが、そんな中で「大」好きかって問われると、うーんどうだろうと思ってしまいます。

 

アスペルガーな人は、こういう曖昧な質問には弱いんですよ。

 

追記

なんかあまりにもつまらないので、一応思い出代わりにこれまで触ったことのある据置型ゲーム機を羅列しておくと

セガ:

任天堂:

ソニー:

その他:

 触ったことがあるだけなので、全て所有していたわけではありません。

海外旅行は、ひとりなら気楽だけど

今週のお題「海外旅行」

 

海外に行くと日本語が通じないので、発達障害があろうがあるまいが自分の語学能力の問題からコミュニケーションに障害が出る。というわけで、言葉が通じない不安はあるけど、空気が読めなくて困る的な不安といったものはない。そういう意味では、海外旅行中のほうが気楽である。

 

しかし、妻と一緒の場合はそうもいかない。妻のほうが英語ができないので、私が通訳することになる。ただ翻訳するだけなら問題ないのだが、ここで「心の理論」に問題のある人間にとって素人通訳というのは大変難しい。

 

ここで「心の理論に問題のある」とは、Wikipediaの言を借りれは、「他者が自分とは違う見解を持っていることを想像するのが難しい」ということ。私の通訳の場合、極論すれば「妻が自分(=英語が聞き取れる)とは違うことを想像するのが難しい」、すなわち「妻が英語がわからないことがわからない」状態であり、

  1. 英語を聞き取る
  2. 理解する
  3. 妻も理解してるはず(←「妻が自分とは違うことを想像するのが難しい」)
  4. 妻に何も通訳しない
  5. 返事する
  6. 1にもどる

を繰り返します。通訳してないwww

 

で、最終的には「ちゃんと通訳して」「勝手に返事しないで」と怒られますorz

 

ところで、心の理論に問題があるとはいえ知能上は問題ないいい大人なので、3 に問題があるのは自分で大いに認識しています。が、英語という(場合によっては相手も)ネーティブではない言語でコミュニケーションをとるので精一杯の状態だと、心の理論という苦手なところに注意を振り向ける余裕がありません。理屈は分かってるんですけどね。